そんなこんなでカヴェルの家にお世話になることが決まったのだが、
着替えなどはちゃんと準備したいからと一度俺の家に来てもらうこととなった。
「ごめん、手間かけさせて………」
「良いよー。急に決まった訳だし、気にしないで。」
くしゃくしゃと無遠慮に撫でる手を振り払いながらも、俺の鼓動は馬鹿正直にドキドキとする。
勘違いするな、俺。
カヴェルは優しいから、一度顔を突っ込んでしまった面倒事を放っておけないだけだ。
「暫く分の服と………あとどうしようか。まあ足りないなら俺の貸すけど。」
「うーん、食器とか?」
「それは俺の貸すからいいよ。お客様用だけど、今後はジルのってしても良いしね。」
あーでもないこーでもないと話しながら夜道を歩く。
正直誰かの家に長期間泊まるなんて初めてだから、何が必要か分からない。
いつまでって期限もないから、尚更だ。
そしてそれはカヴェルも同じだったらしい。
楽しそうにあれやこれやと色々提案してくれる。
「俺の?」
「そう。ジルのにして良いよ。仮にジルが家に帰れるようになってもさ、俺の家に置いててよ。」
不意に足を止めて、カヴェルが真剣な顔をしてそう言った。
次いで俺の指に絡められるカヴェルの指に、ドクンと一際大きく恋が鳴いた。
どういう意図で言ったのだろうか?
それを問いても良いのだろうか?
「ねえ、カヴェル………」
「悪い子だ、シルファ。そんな下賤な男と不貞を働くなんて。」
聞こえた声は、初めは幻聴だと思った。
だって、こんな場所で本来聞く筈のない声なのだから。
俺の名前を、呼ぶ筈がないのだから。
「誰だ、てめぇ。」
「貴様のような奴に名乗る名は無い。さあ、シルファ来なさい。【かくれんぼ】は終いだ。」
カヴェルが威嚇するように声を上げ、俺を庇うように背中に隠す。
それでも幻聴でもなく確かに聞こえた声に、かつての恋が泣き始める。
何故、何故あの人が………かつての俺の婚約者であるカナルディア伯爵令息様がここに居るんだ!
「人違いじゃねえか?ここに居るのはジルだ。」
「だから黙れと言っている。シルファ、一体いつまで拗ねているんだ。」
しかも彼は俺がシルファ・ジェリフェニエルだと確信している。
何故だ?
シルファ・ジェリフェニエルは確かに死んだと、ギリギリまで国に残ってくれていた御者から確かに確認した筈だ。
彼が嘘を吐く筈がない。
「お、俺はシルファという名ではありません。彼の言う通り人違いでは?」
「何を言っているシルファ。私がお前を間違える訳ないだろう?」
クスクスと、楽しそうな笑い声が聞こえる。
カヴェルの背中しか見えないからどういう表情をしているのか分からないけれど、ひどく恐ろしい気配がした。
そもそも間違える訳ないって、アンタは俺をいつも放置していただろうが。
邪魔になるかもしれないと分かっていても、カヴェルの服を握ってしまうのは、確実に恐怖からだ。
「五年………私にとっては永遠よりも長く感じた………」
唐突に始まった語りに、俺もカヴェルも首を傾げる。
とはいえカヴェルは警戒を止めてはいないらしい。
ゆっくりと腰に帯刀させている剣に手をかけている。
「お前が病に臥せって面会謝絶だと聞いた時、私がどれ程恐怖したと思う?更に二ヶ月後に死んだと聞いて、どれだけ嘆いたと思う?」
そりゃあ、死に至る程の病だと知れば、自分も感染するかもしれないし死ぬかもしれないと恐れ嘆くだろうな。
悪い事をしたと思うけど、俺ももう限界だったし心が死んでたんだよ。
少なくとも、アンタのせいで。
「葬儀の時も信じることは出来なかった。だから私は掘り返したのだ。」
「「は?」」
何をしようとしているのか分からないからと警戒していた俺達だったが、思わぬ発言に思わず声が出てしまう。
掘り返した?
何を?
嫌な予感が止まらない。
【葬儀の後】に【掘り返す】なんて表現が出るのは―――
「そうしたら君の棺が空だったじゃないか!その時の歓喜たるや!」
やはりというか………
掘り返したのは【私】の墓だったらしい。
「死者の墓を荒らしたのか………?いかれてるな。」
「死者など居ない!墓には誰も眠っていなかったのだから!現に生きているだろう!私の妻は!私のシルファは!!」
カヴェルの真っ当な意見に、カナルディア伯爵令息が吼えた。
否、確かに【私】は婚約者であったけど婚姻結んでないし、そもそも確かに生きてはいても葬儀まで行った死者だぞ?
婚約すら解消されている筈だが?
「私を謀った子爵達は全員処断した。けれでも君との婚約は解消も破棄していない。生きているのだから、必要無いだろう?」
………解消も破棄もしてない、だと?
意味が分からない。
何故だ?
生きているなんてそんなの後付じゃないか。
葬儀だって執り行われている以上、シルファという存在は抹消されている。
そんな存在と婚姻を結び続けるだなんて到底不可能だし、そもそも処断とは一体………。
「仮に、ジルがアンタの言う【シルファ】だとして………婚約者の親を、コイツの親をお前は殺したのか?」
唸るようなカヴェルの言葉に、俺は息を呑んだ。
そんな………確かに俺は逃げたけど、代償がデカすぎる!
人の命を奪ってまで、生きていたい訳じゃなかった………
「貴様に発言を許した覚えはないが、まぁいい………殺してはないさ。
あのような奴らでも私の可愛いシルファにこの世の生を与えてくれた人間なのだから。」
徐々に恍惚としたモノへと変わっていく彼の表情を見て、俺は背筋に何か嫌なものが走るのを感じて思わずカヴェルの服を握る指に力を込める。
殺してはないという言葉も恐ろしかったし、まず【私の可愛いシルファ】って誰だよ………知らない人過ぎる………
「可愛いシルファ、ねぇ………。そのシルファちゃんは、死を偽装する程アンタから逃げたかったみたいだけど?」
邪魔だろうに、カヴェルがそっと俺の手を握ってくれる。
頼もしい温もりに少し落ち着きはしたけれど、それでも恐怖は落ち着かない。
寧ろ悋気しているかのような彼の表情に、恐怖どころか完全にパニックになってしまった。
なんで、そんな瞳で見た事なんて、一度もなかったじゃないか!
「【かくれんぼ】をしているだけだろう?でももう私が見付けたのだからかくれんぼはお終いだ。帰るよ。」
「い………嫌だ!」
伸ばされた手が、派手な打音を立てながら離れていく。
その手が俺に触れるよりも早く、カヴェルが彼の手を叩いて防いでくれたからだ。
ギッとカナルディア伯爵令息がカヴェルを睨みつける。
「じゃあその【かくれんぼ】は何で始まったと思ってるんだ?」
「悲しい行き違いだ。なあ、シルファ。」
行き違い?
何がだ?
ずっと周りから否定され続け、何もしてないのに非難され続け、貴方は何も庇ってくれない上に不貞までされて………それなのに、悲しい行き違い?
「ふざけるな!何が行き違いだ!」
「………カヴェル?」
カナルディア伯爵令息の言葉に、何故かカヴェルが吼える。
何で彼がそんなに怒っているのだろう?
何でそんな、俺がなにされたか知っているような言葉を言うのだろう?
「………ごめんね、ジル。俺、護衛依頼で隣国に行った時にジルのことを一度だけ見た事があるんだ。
周りの貴族達から口さがない言葉を言われても俯くことなく凛と立ってて、なんて美しいんだろうって思った。」
その時に、君に恋をしたと甘い声で言われた。
カナルディア伯爵令息の顔がまるで悪鬼のような形相になったけれど、それよりも俺はカヴェルが俺を知っていたことに驚きが隠せなかった。
「一度だけの恋だと諦めていたけど、何の因果かこの街で出会って嬉しくなった。
ジルが居るという事実もそうだけど、ジルが笑っていたことが、嬉しくて仕方なかった。」
カナルディア伯爵令息を警戒しながらも、それでもカヴェルはいつもの調子でそう言った。
たった一度だけなのに。
会話してすらないのに、それでも俺のことを覚えていてくれたのだろうか?
本当に、俺なんかに一目惚れしてくれたの?
「あの日のジルは、いつだって辛そうで苦しそうな顔をしていたから。」
「当たり前だろう。」
カヴェルの言葉を肯定したのは、未だに忌々しげな表情をしているカナルディア伯爵令息だった。
一体どう意味だ?
当たり前だってそんな―――
「シルファの笑顔は愛らしいから見たら誰もが惚れてしまうだろう?夜会で………否、私以外の前で笑う必要など一切無い。」
………彼が何を言いたいのか、分かりたくないのに分かってしまった。
今までの苦しみも、悲しさも、全部全部この人のせいだったのか。
全部全部、作られたものだったのか!
「貴様のような下賎の輩がシルファの笑顔を見てしまうとは予想外だがまぁいい。
その両目を潰せば良いだけだ。さぁ、シルファ。いつまで拗ねている。帰るぞ。」
「嫌です!」
「なに?」
そんなの、ただの飼い殺しじゃないか。
愛されていないのは分かっていた。
けれどもそれならば、いっそ俺をどう意味でも気に入らないで欲しかった。
無関心の方が、いっそ平穏だ。
愛玩道具だなんて、そんなの絶対に嫌だ!
「俺は【ジル】だ。【シルファ】じゃない。【私】はあの日、確かに死んだ。
貴方は棺に何も入っていなかったと言ったけれどそれは違う。あの棺には、【私】と【貴方への恋心】が埋葬されているのだから!」
五年という歳月はそう長くはない。
けれども俺の傷付き、疲れ果てた心を癒すには十分な時間だった。
そして新しい恋をする余裕が出るのにもまた、十分すぎる時間で。
だからもう、俺は自分勝手で無責任だと批難されようとも、この人の傍には戻らない。戻りたくもない。
「あの棺は空だった!シルファ、君は私の目の前に居る!帰ろう!」
「そうしてお前はまた、ジルの笑顔を奪うのか?」
吠えるカナルディア伯爵令息に、カヴェルは静かな声でそう聞いた。
その言葉は泣きたくなる程にストンと俺の心に入ってくる。
嗚呼、そうか。
【私】は笑えなかった。
笑えるような状況ではなかった。
でもそれは、何よりも恋しかった人に、奪われていたからなんだ………。
「ジルの笑顔が愛らしいとか、自分以外に向けるなとか言ってるけどさ、そもそも【シルファ】はアンタにすら笑ってなかったじゃん。」
「違う!」
「違わないよ。辛い目に遭ってるのに庇いもせずフォローもしない奴に、笑いかける訳ないだろ!」
カヴェルの言葉に、聞くも耐えないとばかりに斬り掛かる。
しかしカヴェルは俺の手を離して冷静にその剣を自分の剣でいなしながらも、事実という言葉の刃で彼を傷付けていく。
そうだ………笑えなかった………
愛していたけれど、信用出来なかった。
いつも警戒していて、だから可愛げのない態度しか出来なくて、それがまた周りからの嫌悪を呼び………
その悪循環で、気が付けば彼の傍に居ることこそが苦痛になっていた。
「私は………私はシルファさえ居ればそれで良かったんだ!」
苦痛になって、なんで俺ばっかりって思って、だから彼と話し合うことも避けて、逃げて。
あの人がどういうつもりなのかとか、聞くこともなかった。
こんな俺、嫌われて当然だよな。
「………【私】も、そうなりたかった。」
ポツリと零れ落ちた言葉に、二人の動きは止まる。
俺も、彼だけが居れば良いって、言えたら良かったんだ。
そうしたら俺も、彼も、下手に傷付かなくて済んだのかもしれない。
でも、ごめんね?
「【俺】はもう、貴方の傍に居たくないんだ。好きな人が、出来たから。」
カナルディア伯爵令息の顔が、絶望に染まる。
最後まで、貴方の望む愛をあげられなくてごめんね。
弱っちくて、頼りない私では、貴方の愛は重過ぎた。
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