言い訳程度の顔合わせは、あのポンコツ少女にとって苦しいものになるだろうなとチャーリーは思っていた。
顔が認識出来ないというよりも、顔が見えない、見えていない少女の視界はチャーリーにとって恐ろしい以外の何物でもない。
人間は嘘偽りを吐ける。
しかしその代わり、なかなか本音を誤魔化せないのが【瞳】だ。
目が笑っていないという表現がある程に、作られた表情を浮かべても目には感情の色が乗る。
しかし【顔そのもの】が見えない彼女にとって、目を見て判断しろと言われてもどうしようもない。
相手の目がどこにあるかなんて、分からないのだから。
だから少女は声や言い方で僅かな震えなどを読み取り、時には【自己解釈】をしてその人間がどういう人間なのかを判断する。
それは高確率で読み取れている本音ではあるのだが、だからこそ、
彼女の今世の父や兄のような高圧的な言い方をする人間に対してかなりのストレスを感じるのだ。
とは言え、貴族の人間なんて爵位が高ければ高い程そういう言い方になるものだ。
「アーノルド・フォン・ラーシェントだ。」
冷たく響く声。
案の定、少女の婚約者となったラーシェント伯爵令息は威圧的な声と言い方をした男だった。
………少女の最も苦手とするタイプの相手。
チャーリーと少女は刹那的な契約とは言え、4年も寝食を共にしたり、
頭を抱えながら【殺害計画】を練ったり兄妹のフリして冒険者をやってみたりとすれば自然と情が移る。
今では少女もすっかりチャーリーの顔を認識できるようになってる位には好いてくれているからなと自負してしまう位には、チャーリーにとっての少女の存在は大きくなっている。
物心ついた頃には望んで孤独に生きていたチャーリーであったが、きっと妹が居たらこんな感じなのだろうなとも思っている。
そんな少女が可哀想にすっかり怯えて完全に関わりたくないモードに入っている様子を見て、チャーリーはひっそりと溜息を吐いた。
存外思い込みが激しく頑なな彼女がこうなってしまったからには、余程のことがない限り男に気を許すことはないだろう。
罰せられることを覚悟で間に入ろうかとした、その瞬間―――
「(クッソめんどくせぇ事になったぞ………)」
何が男の琴線に触れたのかが分からない。
けれどもこれは面倒な事になったという事だけは、聡いチャーリーには分かってしまった。
男の瞳に、明らかに少女に対する情欲の炎が灯ったのだ。
だが少女は気付かないだろう。
流石上流貴族様と言うべきか、声色や言い方に関しては一切何も変わっていない。
変わったのは、その視線の熱だけなのだから。
しかしその熱は、チャーリーにとって放置できるものではない。
別に少女を恋愛対象にしようがどうしようが構いはしない。
あくまでもチャーリーにとって少女は妹的な存在なのだから、誰に懸想されようが関係ない。
でも、あれは………あの瞳だけはダメだ。
あれは恋愛感情や肉欲だけに留まらない、マグマのようにドロついた熱だ。
あんな執着心じゃ、ちょっとやそっと程度の偽造工作では直ぐにバレてしまう。
あせるチャーリーを嘲笑うかのように、少女が口を開くだけで男の瞳の中の温度が更に増していく。
これで男が醜男であれば可哀想に婚約関係を勘違いしているのだろうなと笑えたが、
残念なことに男は異性愛者の男であるチャーリーでさえ目を見張る程のかなりの美丈夫で。
あの見た目で伯爵令息。
とは言え次男なので跡を継ぐ事はないだろうが、逆に言えばかなりの自由がきく存在だ。
しかも【騎士団希望の星】なんて言われる程の実力者で、次期騎士団長なのではとも噂されている。
そんな男ならば女など引く手数多だろうに、実は同性愛者なのではと陰口を叩かれる程に女気が無い。
そんな男が恐らく唯一懸想を抱いたのが、よりにもよって平凡も平凡、ボロ服着せれば堂々と街中歩いても誰も気付かないような少女とは………。
「(笑えねぇな。)」
計画を練り出して4年。
まさかここにきてこんな落とし穴が待ち構えていたなんて、比喩表現じゃなく頭が痛くなってくる。
【アーリア】を殺した後の資金として二人でコツコツと冒険者稼業で積立ていたが、それすら難しくなりそうな予感もしてきた。
一分一秒毎に、男の執着が濃くなっていく。
驚く程トントン拍子に進んでいく二人の婚約話が、男の執着を後押ししているようにも思えて仕方ない。
少女の戻りを馬車の前で待ちながら、チャーリーはどうしたものかと思案する。
少女だってきっと、あの容量の大きくないポンコツな脳みそで必死に思案していることだろう。
今日一日だけで、当初の計画から大幅にズレてしまっている。
短期で終わる予定だったのに、これでは実行までに小細工に小細工を積み重ねなければいけないことになるだろう。
長期戦だ。
短気で頭が悪い少女と、基本的に計画無しに生きてきたチャーリーにはなかなか難しい事態。
「アーノルド様、本日は誠にありがとうございました。」
男にエスコートされて、少女がやって来たので扉を開けて待つ。
話し合いの場はやはり精神的な疲れを呼び寄せたのか、チャーリーの姿を見付けて少女の瞳が安堵に揺れる。
その瞬間だった。
まるで戦い方を覚えたての子供のような幼い殺気が、チャーリーの頬を刺激する。
誰からのものか、なんてそんなの聞くまでもない。
チャーリーは少女の掌を支えてやりながら、殺気の主である男を見つめた。
睨みつけたりなどしない。
ホンモノの殺気を浴びせたりなんかも、勿論しない。
ただ見るだけだ。
少なくとも、騎士団なんかに所属しているのであれば理解して当然だろうと。
その思惑通り、男はチャーリーに伸ばそうとした腕をピタリと止めた。
「チャッキー?」
少女の不安そうな声が小さく響く。
チャーリーの表情が、雰囲気が。
いつもと違うことを察してしまったからだろう。
「………なんでもありませんよ、お嬢様。」
チャーリーの言葉に訝しげな表情を見せるが、それでも早く帰りたいという気持ちの方が強かったのか素直に馬車へと乗り込んだ。
男の表情が、悔しげに歪められる。
もう自分の存在が少女の意識の外に行ってしまったのが分かったのだろう。
素直な男だ。
もしかしたら挫折だって今知ったのかもしれない、哀れな男。
「本当に殺りてぇなら、戦場でもない場所では殺気は隠せ。虫を殺す感覚で殺らねぇと、簡単に防がれるぞ。」
だからつい、チャーリーは余計なお節介を焼いてしまった。
これから地位が上がるにつれて戦場でもたくさん人を殺める事になるでろう、恋に振り回された青臭い男に。
願わくば、このまま挫折して立ち上がらないでくれとも思いながら。
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