私と少女との婚約はトントン拍子に進んだ。
権力を強固にするだけでなく、この婚約によって互いに厄介事が片付く事が大きかったのだろう。
事務的に進んでいく話に、少女は特に何も言わなかった。
何も言えなかったのだろう。
それ程までに虐げられているのか。
確かに少女の父親であるヴィステント侯爵の目は厳しく、少女に一切の反抗も許さないといった態度だった。
けれども少女はそんな父親の態度すら映さず、私の隣に立ってくれた。
それは少なくともあの父親よりも、そして何故か物言いたげな少女の兄よりも、私の方が少女に頼られているのではないかと錯覚するに十分な態度だった。
「………異論はないか?」
仮に異論があったとしても丸め込む言葉は幾つも用意しているが、それでも敢えて私は少女に聞いた。
彼女は私と何れ婚姻を結ぶという事実を受け入れてくれたのだと、言質を取る為に。
「いいえ、アーノルド様。貴方様が望むのであれば。」
少女がそう言った瞬間、私と少女との婚約は確固たるものとなり、少女が学園を卒業すると同時に婚姻を結ぶことが決まった。
少女が少女でなくなると同時に、私は名実共に彼女を手に入れることが出来るのだ。
それはとても素晴らしいことのように思えた。
前日まで最悪な気分であった今日という日は、私にとって一生忘れられない最良の日となったのだ。
帰り支度を整え馬車まで向かう彼女の横を歩きながら、いっそこの家に住めば良いのにと考える。
私の婚約者なのだから、何も帰る必要はないだろう?
先に帰った父親と兄とは別の馬車。
その時点で彼女の立場が容易に察せられて、無理にでも連れ去りたい衝動に駆られたけれどもグッと耐え忍ぶ。
今はまだ、この邸とて少女にとって過ごしやすい場所ではない。
騎士団で実績を積み上げ、私だけの力で建てた屋敷ならば………。
そうなるとやはり共に暮らせるのは早くても学園に入学した頃になるのか。
そんな浮かれきった心は、冷えるのも一瞬だった。
馬車の扉を、彼女の執事が開ける。
我々貴族にとって、当たり前の光景だ。
けれどその瞬間に何故か嫌な予感がして、私は彼女の顔を盗み見た。
そうして私は、今まで生きてきた中で感じたことがない程の怒りを感じたのだ。
彼女の瞳に、あの執事が映っている。
私だけではない。
肉親すら映していなかった彼女の瞳が、はっきりとあの執事とだけは目を合わせているのだ!
何故だと吠えたくなった。
衝動のまま、執事の首を絞めようと手を動かし………けれどもそれは実行することなく終わった。
否、動かすことが出来なかったのだ。
このまま手を動かせば、執事の首元を掴むよりも早く私の腕の方が切り落とされてしまうと、執事と目が合ったその一瞬で判断してしまったから。
アレは、人を殺した事のある者の目だ。
しかも自ら望んで、血の雨を浴び続けた者の目をしている!
「チャッキー?」
不安そうな声で、少女が執事を呼ぶ。
彼女の感情が読み取れる声を、私は今日一日彼女と過ごしてきたのに初めて聞いた。
そんな彼女に執事はなんでもないと言って微笑み、彼女に馬車に乗り込むよう促している。
彼女の意識から、私は追い出されてしまっているのだと気付くには十分な仕草だ。
「本当に殺りてぇなら、戦場でもない場所では殺気は隠せ。虫を殺す感覚で殺らねぇと、簡単に防がれるぞ。」
扉が閉まる直前、私にしか聞こえないような小さな声で告げられた忠告。
否、これは上の者から出来の悪い下の者へのアドバイスだ。
負けた負けた負けた。
何をする訳でもなく、何をされた訳でもなく。
目が合った、ただそれだけで何もかも負けてしまった!
強くなりたい。
あんな危険な男から、彼女を護れる強さが欲しい。
そうしてあの男が立つ場所に、俺が堂々と立つ。
その為の強さが、俺にはどうしても必要だった。
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