「お前の婚約者を決めてやった。」
父からそう言われた時、私は特に異論はなかった。
寧ろとうとうこの日が来たかと、受け入れる他なかった。
相手はヴィステント侯爵家の長女。
噂によるとたいして可愛らしい訳でもないくせにとてもワガママで姦しい少女らしいがその位が丁度良いだろうと言われてしまえば、ますます何も言えない。
会ったことのない少女を良く言う事も悪く言う事も出来ない。
ただ、確かにデビュタント前であるにも関わらず良い噂を聞いた事がない少女ではある。
しかしそんな彼女にも選ぶ権利はあるだろうに、こんな歳上の堅物男の婚約者にならなければいけないなんて………哀れだと思った。
私も、彼女も。
顔合わせの日も勝手に決められて、足掻きたくはないし受け入れてはいるのだけれど拒否権は無いのかと聞きたくなってしまう。
勿論、そんな無様な真似はしないが、それでも溜息の一つでも吐きたくなってしまうのは仕方ないだろう。
了承して部屋を出た時には、顔合わせの日をどう過ごそうかと今から胃を痛めてしまっていた。
結局の所避ける事を許されなかった顔合わせの日。
彼女は執事を一人だけ従えて、小さな体を震わせながら現れた。
体に合っていない、少し大きくて逆に動きにくそうにも見えるドレス。
この時点で私は、噂とは違う人物なのかもしれないと察した。
時折目にするのだ。
家族からも虐げられ居場所のない、少年少女を。
「アーノルド・フォン・ラーシェントだ。」
きっと彼女もそんな一人だろうと、私は挨拶の段階ではその程度にしか思えなかった。
力の無い、全てを諦めたような。
それでいて誰かの助け待つような媚びた目をしているのだろうと、勝手に思い込んでいた。
「アーリア・ヴィステントと申します。」
しかし、彼女は違った。
歳と体格からは想像出来ない、凛とした力強い声。
完璧なカテーシー。
そして何より私の全てを映しているような、それでいて目の前にいる私すら映してはいないその瞳。
「この度は貴重なお時間を割いて下さり、ありがとうございます。」
「いや………」
硝子のような、否、鏡のような瞳が私を見る。
私を見ない。
愛らしい顔立ちではない。綺麗な訳でも醜い訳でもない、至って凡庸な顔立ち。
けれども何故だろうか。
私の視線を、心を。
しっかりと掴んで離そうとはしなかった。
獣じみた感情が、私の心臓から喉元にかけてを襲う。
彼女は私の、私だけのモノだ。
着飾って、閉じ込めて、私だけの箱庭に置けと叫ぶ。
【今度こそ】逃がすなと暴れ狂う。
これが一目惚れだと言うのならば、なんと醜い感情か。
これが初恋だと言うのならば、なんと歪んだ感情か。
私は沸き立つ心に目を逸らし、自然な動作で少女をエスコートする。
けれどもそんな足掻きは、触れる掌の小ささと熱によってあっさりと乱されてしまう。
私が守らなければ彼女はきっと壊れてしまうなどと、傲慢な思考が脳を支配する。
「ラーシェント様、どうぞ発言をお許し頂けないでしょうか。」
幼い声が、私を呼ぶ。
そこには何の感情も含まれていない。
怯えや緊張といった負の感情も、憧れや恋情などの感情も。
「許そう、だがその前に………」
「はい。」
「名を呼べ。私の名を。」
アーノルドと、呼んで欲しい。
家名ではなく。
ラーシェント伯爵令息としてではなく、一人の男として。
婚約者なのだから、何も可笑しいことはないだろうと都合のいい考えが浮かんでは消える。
まだ完全に決まった訳でもないのに。
「はい、アーノルド様。貴方様が望むのであれば。」
それでも彼女が呼んだのは、あくまでも伯爵令息である私だった。
仮に婚約が上手くいったとしても、彼女にとっては政略結婚でしかない事には変わりない。
だから、今はそれで良いと思うことにした。
「ああ。………それで、何が言いたい。」
「アーノルド様、私めと貴方様との婚約………その話は事実でしょうか。」
嫌がっている風ではない。
けれど、喜んでいる風でもない。
これは確認だ。事実確認。
けれど私が口にした言葉が例え事実と異なろうとも、少女の中では事実になる。
「そうだ。これは如何なる理由があろうとも覆すことが出来ない婚姻だ。」
こうして私は彼女の人生を縛りつけた。
縛りつけた気になっていたのだ。
これで彼女の歩む人生の先には私だけが居るのだと、私は得意気になっていた。
「畏まりました。そうあれかしと、貴方様が望むのであらば。」
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