そして彼女は男児を孕む

「大丈夫、分かってますよ」

妻はいつだって、そう言って私に笑いかけてくれる。
私はいつだって、その言葉を聞いて若気の至りだとは到底言えない程の深い後悔に苛まれるのだ。

特に美しくも愛らしくもなく、かと言って醜女という訳でもない平凡な容姿。
学生時代の成績は平均的で、頭が悪い訳ではないが不器用な彼女が私の婚約者であるという事実が幼い私は不満だったのだ。
だから私は愚かにも彼女以外の恋人を作り、その女を深く愛した。
彼女にはどうせ結婚するのだから好きにさせろと宣った。
けれども彼女は誰よりも穏やかで、そして優しかった。

『畏まりました。私はけして貴方様の邪魔は致しません。』

ふんわりと笑うと、本当に何もせずに私の好きなようにさせてくれた。
卒業の際には、自分に冤罪を着せて婚約破棄にして愛する人と手を取っても構わないと、本当に心配そうな表情で言われた。
その時も私はどれ程愚かなことをしていたのか気付く事が出来なかった。
ただ簡単に言ってくれるなと、人を愛したこともないくせにと思いつくままに彼女を侮辱した。

結婚して二年経つまで気付かなかったのだ。
彼女の方こそ、得難い人なのだと。
器量はそう良くなくとも、付かず離れずただ傍に居て話を聞いてくれる。
けして的外れではない、別視点の意見もくれる。
そうして惜しみなく親愛を注がれ癒され、気付いた頃にはもう手遅れだった。

「大丈夫、貴方は報われます」

私に慈愛の笑みを浮かべて言い聞かせるようにそう言い出したのは、一体いつからだろうか?
私とて報われたい。
けれども、他でもない貴女が私を報われさせてはくれない
縋るように抱き着いても、愚図る幼子にするように指で髪を梳いてくれるだけ。

「私に貴方とのお子ができたのです。男児であれば、私をお役御免にすることが出来ますよ」

我が子と離れるのは心苦しいですが、最初から我慢する契約ですものね、大丈夫です。
今までにない程に嬉しそうな笑みで貴女は笑う。
子が出来て嬉しいのに、心臓が破けてしまいそうな程に苦しい。
産まれてくる子が女児ならば良いのに。
そうしたらまだ、私は次の子を孕むまでは彼女の夫でいられるのに。

「ちゃんと慰謝料も貯めてますので安心してくださいね!」

そんなものは要らない。
金なんて必要無いし、そもそも離縁なんてしたくないんだ。
私の傍に居て欲しい。
私が貴女に抱く愛と同じ熱量のモノをくれとは、口が裂けても言わない。
けれどもせめて、妻として傍に居て欲しい。
貴女の夫である位置を、誰にも渡したくないんだ。

「ですので、大丈夫ですよ。もう少しの辛抱です」

もう少しで私は全部を取り上げられる。
今私が欲しいのはたった一つなのに、得られる筈の最初で最後のチャンスを踏み躙ったから。
もう二度と、私には手に入らないものになってしまった。
彼女は私の愛を信じてはくれない。
彼女にとって今身に宿している存在は、私の子ではあるけれど彼女の子ではないのだ。

「貴方に幸せが訪れますように」

聖母のような微笑みで、彼女は私に絶望を与える。
貴女はいつだって私の幸せを願ってくれるけれど、私に貴女の幸せを与えさせてはくれない。
私と離縁して、いつか本当の夫が貴女の隣で笑うのだろうか。
腹の子に配慮しながら、私は彼女を強く抱き締めた。
けれどもけして彼女の腕は私を抱き締め返してはくれない。
それこそが、どうしようもない真実なのだ。



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