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朝の光の眩しさと、かれこれ三年以上味わってなかった腕の重みで目を覚ます。
そこにはなんとまぁ、無防備な寝顔でドン引きする位のキスマを身体中に付けられているお世辞にも可愛いとも言えない男が。
まあ、付けたの俺なんだけどなー。
コイツのちょろさには心配にはなるが、だからといってネタバラしをするつもりは微塵もない。
普通に考えてキモいだろ?

入社前に気まぐれで助けただけの男に五年も執着されていたなんて。

コイツに会ったのは、入社前も入社前。
面接の時だった。
俺は正直ジェンダーフリーを偉そうに謳うこの会社に入るつもりは無かった。
とはいえそこそこ大手の企業だったし、第一志望の内定が取れなくてここの内定が取れれば行こうかな程度。
そんな舐め腐った態度にバチが当たったのか、
無事に面接を終えた直後、めちゃくちゃ気分が悪くなって嘔吐してしまった。
勿論、トイレでな。

『あの、よかったらこれどうぞ。』

一頻り嘔吐して手洗い場で軽く口を濯ぎ、
嗚呼でもぶちまけなくて良かったと安堵していると、清潔そうな青い無地のハンカチを差し出された。
見れば冴えない、どこにでも居るような平凡なチビ男。
パッと見俺と同じ年位だろうとは思った。
スーツだがリクルートスーツだし、名札もしてないから社員じゃないだろう。
多分、俺と同じで面接に来た奴なんだろうなとぼんやりと思った。

『別に、ハンカチくらい自分の持ってる』

嘔吐直後の怠さと謎の苛立ちで素っ気なくそう言えば、そうだよねと困ったように笑った。
だがポケットからハンカチを取り出そうとしたが、手が震えて上手くいかない。

『捨てて良いよ、俺の自己満足だし。』

そんな俺に、彼は苛立った様子もなくただハンカチを俺の手に握らせて去って行った。
ぼんやりとその背中を見送り、暫くすると漸く動けるようになったのでハンカチを握り締めながら深呼吸をして俺もトイレを後にする。
そんな時ふと、俺は鞄に身に覚えのない重みを感じて中を覗いた。
そこにはいつ入れられたのか、ひんやりとしたスポーツ飲料が濡れないようにかタオルに包まれて入っていた。
多分、彼だろう。
一体何枚布持って来てたんだよと笑いが込み上げてきた。

思い返してみれば、ちょろいのは俺の方かもしれない。
俺はもしかしたら彼に会えるかもしれないという下心でこの会社を本命に変えたし。
しかし彼にとってはなんてことないワンシーンだったんだろう。
俺のことなんて、ちっとも覚えていなかった。
他人からあっさり忘れられるような顔はしてないと自負してんだけどなー。

忘れられたのならばそれはそれで俺という存在を浸透させればいいと思っていたが、驚いたことに、彼には同性の恋人が居た。
しかも飲み会での盗み聞きした情報曰く、かなり長いらしい。
まあそうだよな。
知れば知る程、下館侑士という男はとても居心地が好くそしてお人好しな男だった。
見た目や人見知りのせいで陰キャという印象ばかり持たれがちだが、
それでもそこまで長く恋人を愛し続けれる健気さに傾倒する男女は少なくなかったし、
しかし誰もがその健気さに芽生えかけた恋心を諦めざるを得なかった。

それなのに。

それなのにあの日、下館はスマホを操作しながら一筋だけ涙を流していた。
偶然通りかかっただけだから、その前に何が起きていたのかは分からない。
けれども彼が恋人に泣かされたのだと俺はそう思ったし、
恋人的にどんな思いがあったにしてもそれがすれ違いだとしても彼が泣いてしまったのは事実以外のなんでもない。
だったら俺がその隙に潜り込んでも、何の問題もないだろう?

「………んっ、かなやま、さん………」
「まだ寝てて良いよ。おやすみ。」

過去を思い出しながら寝顔を眺めていると、俺の起きた気配を察してか彼が掠れ切った声で俺を呼んだ。
とはいえ昨日は相当無理させた訳だし、何も気にせず眠ってろという意味を込めて額にキスをする。
あんなにも愛されておきながら、彼の元恋人は彼に手を出すことがなかったらしい。
ずっと焦がれてきた存在が処女だという事実に、昨日の俺はたいそう興奮してしまったのでそこは反省する。

あー、でも可愛かったなマジで。

思い出すとまた勃ちそうで俺はそっと目を瞑って二度寝の体制に入る。
がっついて離れられたら本末転倒だ。
どうせまだ時間はある。
取り敢えず、近々新居に引っ越そうと考えながらぼんやりとしたまどろみに身を任せる。
勿論、俺と彼が二人で暮らすための家だ。



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