幸せとは常に躯の上に在る

―――学生の頃から、ずっと好きだった人が居た。

否、【居た】ではない。
正直言って、あの人結婚することが決まったからと開催されたこのパーティーでうだうだと考えてしまう位には、未だに好きだ。

初めて会ったのは幼稚舎の頃。
不安そうにスモックの裾をギュッと握り締め、それでもたどたどしく挨拶をしてくれた。
とはいえ俺はその時彼に対してどうとも思ってなかった。
見るからにβだったし、同じ幼稚舎には先生も含めて可愛い子は沢山居たし。
遊び方も大人しく本を読んだりお絵描きをするあの子と、外遊びが好きだった俺で全然話が合わなかったし。

『かずまくん、またごほんよんでるの?』

外遊びの時間、ゆっくりと絵本を読んでるあの子に俺はそう話し掛けた。
別に興味があった訳じゃない。
でも同じ本ばかりで飽きないのかなと、純粋に疑問だった。

『うん!そまりくんもみる?たのしいよ!』

にこにこと、あの子はそう言って俺に絵本を向けてきた。
ブチ柄の犬と、緑色の蛙が出て来る絵本。
何度か読んだことはあるけど、そこまで面白いだなんて思ったことはなかった。

『ぼくね、よめるからよんであげる!』

けれどもあまりにもあの子がにこにこ笑いながら言うもんだから、その笑顔を曇らせるのも面倒で隣に座って聞くことにした。
正直やっぱり、面白さは分からなかった。
読み方もたどたどしくてスムーズじゃないから、先生に読んでもらった方がよっぽど上手だと当たり前のことを思った。
でも俺はそれを口に出すことはしなかった。
一生懸命読んでくれてるあの子の横顔がなんだか妙に面白く思えて、絵本の内容はちっとも耳に入って来なかったけどあの子の顔だけは真剣に見続けていた。

その日から、俺は時々あの子に絵本を読んでもらった。
その頃の子供達《おれたち》は今よりもずっと自由で素直に生きていて。
だから皆、何のしがらみもなく自分の気に入った子と一緒に好きなことが出来た。
媚びを売ることも、売られることもなかった。
だから俺はあの子の傍で、あの子の声を隣で聞くことが出来た。
笑ってもらうことが、出来た。
それがどれ程得難いものか、当時の俺には知る由もなかった。

『そまりくん、このこね、じゅんやくんだよ!』

年中さんになった時、あの子はいつも以上ににこにこしながら知らない子の手を握ってそう言った。
じゅんや、と呼ばれたその子は、初めて会った時のあの子のようにスモックの裾を右手でギュッと握っていた。
でも左手は、まるでそうするのが当たり前なんだと言わんばかりにあの子の手を握っていた。

『ふぅん。よろしくね、じゅんやくん。』

そう言いながら、宜しくなんてしたくないと思ったことを覚えている。
俺はあの子と手を繋いだことはなかったのに、堂々と繋いでいるという事実が何故だか嫌だなと思ったから。
可愛らしい顔立ちだったが、俺の方が可愛いって思ってたし。

『かずまくん、いこう。せんせいまってるよ!』

まだ時間は早いし、別に先生は待ってないと思うが俺はとにかく二人を引き離したかった。
繋がれていない方の手を取って、教室に向かおうと歩き出す。
じゅんやと呼ばれた子は抵抗するかもしれないと思ったが、案外あっさりと手を離した。
まるでいつでも、あの子の手を繋げるから良いとでも言いたげな顔で。

『そうだね!じゃあ、またあとでね!じゅんやくん!』

にこにこと手を振りながら、あの子はじゅんやにそう言った。
後でってなんだよ。
今日はずっと、俺と一緒に居てよ。
幼い嫉妬心は、理不尽な独占欲で埋め尽くされていく。

それでもそんな俺の感情を嘲笑うように、俺とあの子の時間はどんどん減っていった。
昼の自由時間、いつもいつもいつも、あの子の傍にはじゅんやが居た。
あの子の横で、あの子の声を聞き、初めての時よりもスムーズになった読み聞かせをしてもらっている。
ズルい。
なんで?そこ俺の場所なのに。

雨の日とかで外遊びが出来ない日とかは俺はあの子を独占できたけど、そうじゃない日はずっと淳也があの子を独占して、そうして段々それが当たり前になっていった。



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