13

まさに逃げるように食堂を後にしたものの、だからといって逃げ場がある訳でもなく。
ふらふらと社内をうろついて居たら、気が付けば彼の居る管理課の方へと足を運んでいた。
とはいえ、彼が居ないのは分かっている。
それでもどうしても彼の気配に触れたくて、俺はそっと管理課の入口に近寄った。

「げっ!何で居るんだよ!」

タイミング良く聞こえて来た声に一瞬だけ身体が震えたが、多分俺じゃないだろうとそっと息を吐く。
この位置は中からはそうそう見えない位置だ。
何度も何度も確認したから、間違いない。

「何でそんな言い方されなきゃいけないんですかー。」

聞こえてきた声に、折角吐いた息が詰まる。
今の、聞きたくもない耳障りな声は蘭の声だ。
けれど何故、何故ここで蘭の声が聞こえるんだ………!

「何でも何も、ここは管理課だぞ!」
「知ってますよ。可愛い恋人待ちなんで、気にしないでくださーい。」
「こら、耀司くん!すいません、先輩。すぐ出ますんで………!」

蘭のクソ生意気な声と次いで聞こえた康介の声に、泣きそうになる。
なんで?
どうして?
俺は康介に呼んでもらえないのに、アイツはあんなにも親しそうに名前を呼んでもらえるんだ?

「大体藤代!お前の恋人って寂しがり屋の甘えたの可愛い子じゃねぇのかよ!」
「………?耀司くんは寂しがり屋で甘えん坊の可愛い子ですよ?」
「ウソだろ!?可愛さなんて裸足で逃げ出すような存在だぞ!?」

ギャンギャンと吠える役立たずの言葉に、悔しいが同感だと思った。
あんな奴、母親の腹の中に可愛げを置いてきたような男だぞ。
そんな男のどこが可愛いんだ。

「好きっていっぱい言ってくれて全力で甘えられたら、すごく可愛くないです?」
「欠片も可愛くねぇよ。」

なんだそれ、なんだそれ、なんだそれ!
堪らなくなって、俺は管理課の中へと転がり込む。
康介が驚愕の表情を浮かべ、蘭がその背中で康介を隠そうとする、その動作すら苛つく。

「俺の方が、俺の方が貴方を好きだ!」
「えっ!?秋元?何?」

唸るように、吠えるように告げる。
室内に居た役立たず共が俺達を驚愕の表情で注目しているが、そんなことは知るか。
俺の方がきっと蘭よりも先に好きになっていた筈だし、俺の方がずっとずっと康介を愛している。
蘭よりもずっと、俺の方が貴方の恋人に相応しいのに!

「いきなり現れて勝手なことぬかしてんなや………!」
「………」

口に出していたらしい、蘭が不快そうに眉根を寄せているが、関係ない。
それよりも、それよりも。
蘭の後ろで、怪訝そうな表情を浮かべて無言を貫く康介に手を伸ばす。
俺が、俺だけが貴方を愛せる。
俺は誰よりも貴方を―――

「………ずっと思ってたんだけど、貴方、誰ですか?」

小さな唇が零したのは、受け入れる言葉でも拒否の言葉でもなくて、たった一つの純粋な疑問だった。
なんで、今更そんな………だって、俺と貴方はずっと前から付き合ってて、だから………

「僕、貴方に名前を名乗ったこともなければ貴方から名乗られたことすらないですよね?」

言われた言葉が、ナイフのように俺の心臓に突き刺さる。
呼吸が乱れる。
どうして、どうしてそんなことを言うの?

「名乗りもしない常識知らずな人が、僕の恋人のこと悪く言わないでもらっていいですか。」

キツくキツく睨まれてそう言われて、なにがなんだか分からなくなる。
なんで?なんで?
康介の恋人って、俺だよ?
蘭じゃない。
蘭なんかじゃないのに!

「はーい、そこまで。」

蘭を押し退けて康介の所に行こうとした途端、誰かに肩を掴まれ止められる。
否、誰かなんて聞かなくても分かっている。

「東堂………課長………」
「秋元、他の課でプライベートな争い事はダメだろ?おいで。」

有無を言わさない視線で、課長はそう言って俺の肩を掴む手に力を込める。
確かに、ここは管理課の室内だ。
いくら休憩時間だからといって、勝手に入った上に騒いで良い場所ではない。

「バーカバーカ。」
「あのね………蘭もだよ。」
「俺も!?」
「当たり前でしょうが。一方的な話を聞いて判断なんてしないよ。」

呆れたように東堂課長はそう言うが、俺が正しいんだから蘭なんて必要無いだろう。
康介だって、きっと蘭に脅されてるか混乱してるかだろうから。
そうだ。
だから俺に対してあんな態度を………

「東堂課長、僕もご一緒して良いですか?」
「「「え?」」」

康介はそう言って、何故か蘭の袖をそっと掴んだ。
どうしてさっきから蘭の方ばかり触れるんだろうか?
照れてるの?
照れてるんだよね?

「でも君は………」
「当事者といえば僕も当事者ですし、それに耀司く………蘭さんが感情的にならずに話せるかが甚だ疑問で………」
「おい。」
「まぁそれはそうだね。じゃあ、お願いして良いかな?とはいえ辛くなったら退席して良いから。じゃ、管理課の方達すいませんお邪魔しましたー!藤代借りて行きますね!」

課長は俺の背中を押して退室するものだから、俺もよろけそうになりながらついて行くしかない。
少しだけ後ろを振り返ると、ぶつぶつと文句を言う蘭を優しく宥めながら康介も着いて来ている。
どうして蘭ばかり構うんだろうか。
恋人は、俺なのに。



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