10

切欠は、きっと彼にとって不本意であろう瞬間だった。
たまたま見掛けた男同士の言い争い。
浮気だの別れるだの言っていたので、痴話喧嘩かと思って野次馬根性でそちらの方を向けば、
そこに居たのは全く知らない男と、ろくに話したことのない同期の男だった。

………アイツ、ゲイだったのか。

それは嫌悪というよりも、驚愕の感情だった。
何よりも驚いたのが、同期の男が泣いて縋っている姿だった。
会社での彼は地味で根暗で………あんな風に感情を顕にする姿なんて見たことがなかった。

羨ましいと、思った。
普段は怯えたような感情しか出さない彼から、あんなにも感情豊かに愛してもらえるあの男が。

その日からだ。
俺が彼のことを気になり始めたのは。
要領が悪く不器用でコミュ障の地味な男。
本来ならば誰もが選ぶこともないだろう存在。
あの喧嘩だって、男がお前が浮気相手だと叫んでいたのだから、つまりそういう事なんだろう。
それでもきっと彼は愛していたんだ。
真っ直ぐに、あの男を。

あの男とどこで出会ったんだろう。
どこで親しくなれたんだろう。
俺は同じ会社で同期だけど、互いが互いに関係の無い部署で働いているし、俺も彼も非喫煙者だ。
なんの切欠もない俺は、彼と会話をすることすらままならない。
きっと彼の中で俺は、同期だとすら認識されていないと思う。

でも同じ社内に居るんだ。
視界には入れるかもしれない。
その時にもしも好みのタイプと一致すれば、意識してもらえるかもしれない。
でも彼の好みのタイプってどんな人なのだろうか?
俺は朧気な記憶をフル活用して、ガタイが良くツーブロックの髪型をしていたあの男を思い出して取り敢えず真似てみることにした。
とはいえ髪型は簡単だけれど体格は時間がかかる。
俺は本格的なジムに通って、肉体改造に勤しんだ。

「最近鍛えてるねー!色男味が増してるじゃん!」
「ええ、ちょっと………」

先輩から言われた言葉を、曖昧に笑って流す。
話したこともないけど気になる人に意識して欲しくて、なんて。
恥ずかしくて言えなかった。

話しかけたことはなかったけど、俺はあの日からずっと、彼を見ていた。
彼はあの日から一ヶ月程かなり落ち込んでいたから、きっとあの男とは別れたのだろう。
それがいい。
浮気するような男なんて、彼には相応しくない。
アレから半年程経っているけど、彼の日常は淡々としていたし家に誰かを招いた形跡もないから、きっと新しい恋人だって居ない筈。
俺の為に、恋人の座を空けてくれてるんだよね。

でも最近夜遊びが多いみたいだ。
タイムカード見る限り最近残業しないで帰ってるみたいなのに、家に帰り着く時間が遅いし、誰かの車でいつも帰って来てるね。
しかも昨日は家に帰ってないみたいだけど、まさか泊まった?

アレは誰だ?
君の新しい恋人?
でも恋人は俺だろう?
俺がいつまで経っても君に告白しないから痺れを切らしてしまったの?
それとも嫉妬させる作戦?

だとしたら作戦は大成功だね。

君が帰ってきたら、告白するよ。



拍手