じわじわと蝉が鳴き初め、夏の訪れを告げる。
良いねえ、良いねえ。風流だねえと、紫明は満足気に頷きながら通い慣れた道を歩く。
夏本番になると鬱々しくなる坂道ではあるが、今はまだ涼しく爽やかな風が吹いて散策に丁度良い。
生い茂る木々が作る木陰のおかげで、寧ろ肌寒いくらいだ。
「毎度ー、邪魔するよー!」
目的地であるご立派な屋敷の玄関を開け、叫ぶように来訪を告げる。
家主からの反応は無いが、それはわりといつもの事。
不用心で何よりだと笑いながら履物を脱いであがりこみ、家主の部屋へと向かう。
不法侵入だと、騒がれるには今更な仲であった。
「こんにちは。変わりないかい?」
「おや、紫明。こんにちは、うちのプッシーキャットを知らないかい?」
「橋姫かい?【外】では見なかったけどねえ………よっこらっしょ。」
果たして、家主は呑気に縁側で涼んでいる最中であった。
長い髪を纏めて結い上げ、暑苦しそうに扇子で扇いでいる。
紫明にとっては過ごしやすい気温であるが、どうやら家主にとっては違うらしい。
随分とまあ、不便な身体をしたものだと、家主の隣に腰掛けながら、紫明は苦笑する。
「年寄り臭い事は言わないでくれ給え。同じ齢の私まで年寄り臭く感じてしまう。」
「年寄りだろう?我々は。外見は誤魔化せても内側は誤魔化せまいて。」
カラカラと笑いながら、紫明は眉根を寄せる家主を盗み見た。
相も変わらず美しい顏(かんばせ)だ。男子も女子も、放ってはおかぬだろう。
目が合っただけで、惚れてしまうような。そんな整った美しい顏。
なるほど確かに、この顔では年寄り臭い言動は似合うまいて。
「何を考えているか大体は分かるがな、紫明………。」
「うん?」
「君の顔も、大概だぞ。」
「そうだろうとも、そうだろうとも!」
家主の言葉に、紫明は膝を叩いて笑った。
そうだろうとも、そうでなくては困るのだ。
「己は人を喰らう者。人の子らの好む顏にせねば、飢えて死んでしまうが故。」
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